野球一筋だった矢口敏和さんの幼い頃の様子

矢口敏和さんは1981年生まれの静岡県出身の日本の俳優です。矢口敏和さんは小学校時代から野球部に所属して野球をずっとしてきたといわれています。
将来の夢はと訊かれたら、プロ野球選手になると答えたそうです。

矢口敏和さんにはお兄さんがいて、小学生の時に少年野球チームに入っていた矢口敏和さんのお兄さんの試合を応援するためについて行ったことがきっかけで
野球を始められたとのことでした。矢口敏和さんは野球体格に恵まれていたこともあって、すぐにぐんぐんと成長されたということです。

小学校の野球ではランニングホームランが多いという特徴がありますが、そのような小学生達の野球の中で、矢口敏和さんはホームランを打つことで得点をしていくスタイルでプレーをしていたとのことです。
本気でプロ野球選手になりたいと思われた矢口敏和さんは、中学校時代にシニアリーグの浜松シニアに所属して、全国準優勝を果たしたという記録の持ち主です。

シニアリーグは全国7地区に連盟をもっている野球団体で、毎年明治神宮野球場で開かれる8月の全日本選手権大会を目指して各地で大会が開かれています。
また、ダブル・エー世界野球選手権大会などの国際大会などを通して、国際親善も図っている団体です。日本では1972年に設立された日本リトルシニア野球協会の競技ルールは7回イニングス制以外、
ほぼ公認野球規則のルールに準じて行われています。矢口敏和さんは練習を重ねてどんどんと実力をつけていきました。そのころからしっかりと夢に向かって努力する人だったんですね。

中学校時代の浜松シニアでの全国準優勝では、横浜DeNAベイスターズの後藤武敏選手たちといっしょに戦われたそうです。そして、2年生の時に明治神宮野球場でホームランを打つ経験もされました。
そんな、矢口敏和さんはその後、野球の名門である興誠高等学校に進学され、野球部に所属し、3年生の時にはキャプテンも務めました。
さらに、その時、中日ドラゴンズのドラフト候補リストに名も挙がっていた選手だったそうです。矢口敏和さんの高校の2学年先輩は北海道日本ハムファイターズ内野手だった小田智之選手や広島東洋カープ投手だった
林昌樹選手がいるそうです。

矢口敏和さんは高3の時に野球部のキャプテンとして甲子園を目指されました。しかし、県大会の3回戦で敗退してしまい、甲子園の夢はかないませんでした。負けたその日、部屋にこもって泣いたそうです。
しかし、翌日、気持ちが切り替わって、人前で何かを表現することができる芸能界を目指そうと決めたそうです。