矢口敏和の幼い頃の様子

ハンサムでイケメンの実力派アーティスト矢口敏和さんは現在、様々な分野で活躍されています。そんな矢口敏和さんは小さな頃はどんなお子さんだったのでしょうか。

この方のお父様は洋服の仕立て屋を営まれていたそうです。矢口敏和さんが芸術家の才能を受け継がれているのはお父様の影響だったのかもしれませんよね。

矢口敏和さんのように端正な顔立ちのハンサムな方の父ということでお父様もかなりのイケメンだったのでしょうね。実際にかなりのプレイボーイだったといわれています。

矢口敏和さんは幼少期を北海道・札幌で過ごされたそうです。この方のお父様は結婚と離婚を5回繰り返され、この方はお父様が60歳の時にできたお子さんだそうです。その時、この方のお母様は40歳だったということです。当時、お母様は教師をされていらっしゃいました。

かなり教育熱心な方で、この方を出産された時に地球上のどの場所でも生きていける人にしたいと漠然と思われたようです。

この思いはその後もこの方や妹さんの子育ての中にしっかりと合ったようです。しかし、幸せな時期もあっという間で、その後、お母様とお父様は別れることになり、お母様は幼いこの方と妹さんを連れてお父様と離婚されました。

その時この方は5歳だったということです。そのため、今でもほとんどお父様の記憶はないということなのです。小さい頃のお母様との写真がありますが、この方のお母さんはとても美しい方ですよね。

そしてお父様もハンサムな方だったためこの方は小さい頃、きれいに整った顔立ちをしているとてもかわいらしい子どもだったのが分かります。お母様はその後は女で一つで子育てをされました。

お母様は学校の教師をされておられ、子育ての間も教壇に立たれました。この方は小さい頃から絵を描くことが大好きなお子さんだったそうです。また、講師心旺盛なお子さんで、興味をもったことがあると一目散にその場所に行っていろいろと見てみるのが大好きだったそうです。

お母様はそんなこの方や妹さんについて、教育だけはきちんと受けさせたいという考えで、かなり幼い時から英語の勉強をされたそうです。そのおかげか、英語は大変流暢になられ、ペラペラなレベルだということだそうです。

この方もお母様の期待に応えようと一生懸命に取り組まれたんですね。お母様といっしょにいろんなことに挑戦される実験好きなところもあるお子さんだったそうです。

そのおかげでこの方は後に、3浪や4浪が当たり前だといわれる東京藝術大学にストレートで合格されたのです。お母様がこの方や妹さんを大切に育ててこられたからなんですね。